キレ夜はテレビじゃん?(FNS27時間テレビ雑考)


どーも。

いやあ、ついにウチのブログにもスパムが来ました。akismet様々です。一気に70以上やってきたコメントスパムを一網打尽。スゲー。WPを惚れ直しましたよ。

そんなことはサテオキ、FNS27時間テレビ。
遅ればせながら大体見ました。リアルタイムに見られたのは深夜の若手芸人のヤツくらいでしたが、アレやソレを駆使して大体見た感じです。見てないのはいいとものさんまVSタモリあたり。

いろいろ論考が飛び交っていますが、ここでは二つばかし上げておきます。

FNS27時間テレビ感想(総評) -おわライター疾走
http://owa-writer.com/2008/08/fns27.html
テレビは終わらない -タケルンバ卿日記
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20080805/p2

僕自身の感想を書くと、スッゲー面白かったし、途中で泣いてしまいました。エンディングとかやばすぎです。
今までで一番面白かった27時間テレビはめちゃイケ!の時でした(ナイナイ両人+中居の時)。片岡さんスゲーなあ、と感心するばかりでしたね。そのときの瞬発力には若干及ばなかったけど、もう面白くて仕方なかったなと。

面白がれた理由は単純明快で、僕が「ひょうきん族」の洗礼を受けている世代だからでしょう。
とにかく、今回はそこらじゅうにひょうきん族というか、ひょうきん族世代へのオマージュが散りばめられていました。明石家さんまが27時間の間に歴代怪人の衣装を着まくったこともそうですけど、ひょうきん懺悔室は反則でした。あれでいくらでもひょうきん族の雰囲気に引っ張られてしまいましたから。もう懐かしすぎてどうしていいやら。ジミーちゃん、全然ポテンシャル下がってないよ!
それに、これは皆さん触れていらっしゃるけど、さんま、たけし、島田紳助の本気度といったらありませんでした。この年齢でアソコまでやるか、と感嘆することしきり。あのテンションでやられてしまっては、若手の皆さんが付け入る隙はほぼないと言ってもいいでしょう。それじゃダメだってわかってるんだけど、隙がないから仕方ない的な、いわばアウェイ的な感覚が漂っているのを感じたのも事実です。もちろんその中で普段のポテンシャルを発揮した柳原加奈子、鳥居みゆき、ワッキー(僕はあえてワッキーの潔さを評価したい)、髭男爵ヒグチ君、FUJIWARAの皆さんはもっと評価されてしかるべきだし、関根勤、小堺一機、ラサール石井お三人方の安定度は鉄板だったし、いろんな意味で今田耕司の凄さが際立ちました。
車破壊のくだりに至っては、「ついにやってくれたか」と溜飲が下がる思いでした。さんま、たけしが27時間でそろい踏みすれば、ゼッタイに車破壊ドッキリは行われるはずだ……その期待を裏切らなかったばかりか、遥かに上を行った内容。スカッとしました。
評価できない部分はあったものの(にしおかすみこはもう泣きキャラでいくしかなさそうですね…)、おおむね大満足だったと言うべきでしょう。率直に言って、楽しめました。

上で掲げたエントリーでラリーさんはこう書かれています。

要するに、テレビは死んだのだ。今いちばん新しくて面白い演出とは、30年以上も前からテレビに出ている、明石家さんまというただしゃべっているだけで面白い人間に、延々と自由にしゃべらせることだったのだから。さんまやたけしには後継者がいない。テレビの化身である彼らの引退とともに、私たちが愛した「テレビ的なノリ」としてのテレビ文化は静かにその幕を閉じるはずだ。フジテレビが満を持して送り出した27時間テレビは、逆説的にそのことをはっきりと印象づけた。
この番組は面白い。でも、この番組がいちばん面白いようなら、テレビはもう終わりだ。

    おわライター疾走、FNS27時間テレビ感想(総評)より引用

それを受けてタケルンバ閣下が書いたアンサーがこれです。

今回、明石家さんまが凄かったのは言うまでもないし、ビートたけしや島田紳助の凄さを再確認したのも確かなことなんだけど、かといって他の人間がダメかと言えばそうでもないし、今後に展望がないかと言えばそうでもない気がしてる。何でかと言うとこれまた理由は単純で、明石家さんまやビートたけしや島田紳助で笑えないことがあるから。そして名もない若手に笑うことがあるから。「笑える」とか「おもしろい」という観点でいわゆる大御所だけが突出していると思えないんだよな。凄いけど、凄い人は他にもいる。若手の中にもきっといる。
なのでオレが感じたノスタルジーは、過去が過去になったのを確認したことにあるんだよな。さんまやたけし、紳助の後の世代でも笑える。つまりは彼らは最新ではない。過去になった。昔になった。今、確かに存在しているけれども、新たに出現した存在ではない。オレのノスタルジーはそこ。「懐かしい」というより時間が経過したことの確認なんですよ。最新機種が出てきたことで旧型機種になったって話だね。携帯電話みたいに。そこで時間を感じたと。そういうこと。

    タケルンバ卿日記、テレビは終わらない より引用

上のエントリーを受けて僕が思ったこと。それはこんな感じです。
おそらく、今田耕司の存在一点を持ってテレビバラエティは死なないだろう、と。

27時間テレビでフジテレビ、というか、三宅ディレクターを含めた今回の制作陣が放ったメッセージというのは、おそらく80年代のバラエティから現代へ向けた意地というか総決算というか、そんなものだったと思うのです。僕がそう思う理由のひとつに、さんま・たけし・紳助らひょうきん世代(MANZAIブーム世代とでもいいましょうか)と、現在の芸人・芸能人との対比構造が随所にあったことにあります。そこまで考えてないかもしれませんが。

    はねとびにあえて「サラリーマン」をぶつけてきたこと
    クイズヘキサゴンでのアラジンとさんま一派(ジミー大西、村上ショージ、間寛平ら)の対決
    「復活!有名人の集まる店」での一連のやりとり
    向上委員会の存在
    HEYHEYHEY!への乱入(アミダばばあの衣装で乱入したことも含めて)
    さんタクでの「タクちゃんマン」
    車破壊のくだりでナイナイ岡村の車を同時に破壊したこと

考えすぎかもしれません。でも、僕にはこの構造があからさまに目に入ってきたんです。
あああ、こりゃあ何らかのメッセージがこめられているのかもしれないな。そう思っていたら、エンディング後の懺悔室(三宅ディレクターの2年続投暴露のくだり)と村上ショージの「しょーゆーこと」のコンボで、泣けてきちゃったんですなあ。

思うに、このような対比構造が、「テレビバラエティの再編」とでもいいますか、バトンタッチとでも言うのかな、そんな感じに見えてくるんですよ。80年代から続いてきたひょうきん型バラエティの時代の終わりと、新しい才能というか、時代の存在を示唆しているかのような。
テレビが死んだんじゃなくて、「テレビは変わらなければならない」的な決意、とでもいうのかしら。大げさだな。

その象徴として、今回「今田耕司」というポジションが用意されたのか、と邪推すると、納得できる部分が多々あるわけです。今回の27時間テレビで(というか、「カマ騒ぎ」でのポジションも似たようなものですが)今田氏のスタンスは他の芸人とはあきらかに一線を画していました。もしかしたら向上委員会の席に座っていたかもしれないわけです。はたまた、カマ騒ぎでひと暴れする、という選択肢もあったでしょう。でも、今回はなぜか明らかに異質なポジションにいましたよね。「さんま・たけし」と「若手芸人(ナイナイクラスを含む)」の間に単独で存在していて、その橋渡し役を担ったかのような。
ワッキーの「1.2.1.2事件」なんてもうその最たるものでしょう。あそこでワッキーがなぜ今田氏の控え室に行ったのか。なぜ今田氏なのか。
そこに何らかのメッセージをかぎとってしまう僕は、単なる妄想野郎なんでしょうか。

昔、Ned’s Atomic Dustbinというロックグループがいました(最近再結成したみたいですね)。イギリスはバーミンガム出身。いわゆる「マンチェスターブーム」に乗っかって出てきたグループです。彼らが独自にデザインしたTシャツがすっごく斬新で、僕も持ってました。
彼らがリリースした曲に、こんなタイトルの曲があります。

「Kill your Television」

お前のテレビを殺せ、という物騒なタイトルです。若さみなぎるいい曲ですが、僕にはこの刺激的なタイトルがやたら印象に残っているのです。Video Kills Radio Starよりも鮮烈でストレートなメッセージ。
ラリーさんのエントリーを読んで、このフレーズが頭に浮かんだんです。そして、このエントリのタイトル。
「キレ夜はテレビじゃん?」とは、日本での局地的な人気沸騰にNed’s Atomic Dustbinが、来日時に併せて制作したTシャツに刻んだタイトルのモジリです。

だからなんだって言われちゃうと困っちゃうんですけど、でも、今のテレビに当てはまりそうな、そうでもないような。
今、テレビに求められているのは、こんな「キレ」なのではないか。
キレる、んじゃなくて、キレ。
さんまやたけしや今田が27時間で見せた、あのキレ。
少なくとも僕は、そんな「キレ」を、今のテレビに求めているのかもしれません。