語られることのない言葉4 →Worksに戻る


スペック:2001年10月31日更新、スナフキンの手紙に捧ぐ
背景:2ch閉鎖騒動(2001年8月)が過ぎて以降、いろんなカタルシスが頭の中で起きていた。そんな中で綴ったもの。インターネットというものに抱いていた幻想だったのかもしれない。でも、心の奥底では、まだ幻想を追いかけている自分がいる。この文を多数のサイトで取り上げて頂いた。多謝。


パソコン通信を舞台にした「オアシス」探しの旅は、そう長く続かなかった。
徐々に、その限界を見せ始めていた。


一つの要因は、中央集権型のネットワークであったこと。
中央集権型では、中央に位置するホストコンピュータが全てを管理する。各業者間の繋がりには互換性の問題が立ちはだかり、さらにその互換性を克服するプロトコールも生れなかった。ともすれば、いつまでもこのネットワークはホストコンピュータ=運営している団体の持つ権力が影響し続けることとなる。
ニフティサーブはその会員数を伸ばしていったが、会員間のトラブルが続発し、一部は訴訟問題にまで発展。この事態に対してニフティサーブが出した結論は、システム運用の強化という名の、規制強化であった。だが、それでも会員が独自に設立した「ホームパーティ」「パティオ」の中で言葉は語り継がれていく。ニフティサーブの監視を永遠に受け続けるという虚構のオアシスの中で、彼らは語り続けた。

その他の通信業者は、ニフティサーブの一人勝ち状態の中で徐々にその勢力を弱めて行く。ピープル、PC-VAN、日経MIXといった大手業者は行方の知れない状態の中で、次の策を模索し始めていた。

草の根BBSでは次第に二極分化が発生し始める。大手サイトの巨大化と、弱小サイトの先鋭化である。東京BBSやセンターネットはその力を拡大し、大手業者との共存を目指していた。その他のBBSは軒並み路線を極小化や専門化の方向へと舵取りを変えていく。中にはイソターネットのようにアングラ(以降UG)の方向に向けたBBSもあった。

中央集権型という宿命を背負ったパソコン通信は、いくら寄り合っても、双方をつなぐプロトコールがないことにより勢力の結集を図ることは出来なかった。中にはFirstClassのように共有のプロトコールを実装したものも現われたが、いかんせん勢力が弱すぎた。

中央集権型のネットワークは、結局、匿名掲示板が民衆の手によって運営されたという意味において、オアシスとしてはあだ花に過ぎなかったのである。

そろそろ、その花が幻想であることに、皆気づき始めていた。



もう一つの要因。
それがインターネットの登場である。

マシン間の相互接続を大前提に作られた「TCP/IP」という名のプロトコールが、いとも簡単に集団間の相互通信を可能にした。あっという間にこのプロトコールは全世界に浸透していく。網の目のように繋がった星の数ほどのマシンが、自分のマシンと繋がっている。その光景は、今まで見たことの無い別世界だった。

すぐにコミュニケーションの手段を模索する動きが出始める。TELNETから始まった通信技術は電子メール(SMTP/POP)を生み、つづいてネットニュース(NNTP)を生んだ。

それまでパソコン通信という仕切られた空間でしか言葉を交わせなかった「掲示板」が、ついにマシン間の垣根を越えた瞬間だった。
目の前に、何万(当時)もの人間がアクセスできる「掲示板」が、姿をあらわしたのである。

数々のネットニュースのカテゴリーが生れた。
システム上、誰でも新しいカテゴリーが設定できたネットニュースで、まさしくほぼ理想に近い「語られることの無い言葉を語る場所」=「オアシス」が生れたのである。
人々は、そのカテゴリーを「alt.」と呼んだ。

それまで存在していた「comp.」「fj.」などではこと細かなルールが決められていたが、alt.には「一切」ルールが無かった。誰がどんなジャンルのカテゴリーを立ててもかまわない。それを配信するかどうかはシステム管理者の手にゆだねられていたが、alt.は無事に全世界へと発信された。
そこは、まぎれもなく「オアシス」だったのだ。
確かにIPからマシンを特定するのは可能だし、メールアドレスから発信者を特定することも可能だった。だが、個人情報まではわからない。ハンドルネームを名乗ればそれでよいのだ。

そこで私達は、語られることの無い言葉を叫び、他人の語られることの無い言葉を見たのである。



そして、インターネットが普及する原動力となった「ワールド・ワイド・ウェブ」で、その動きは加速した。
WWWのプロトコールである「HTTP」がCGIを可能にし、ウェブ上で掲示板を稼動させることを可能にしたのである。

ネットニュースを利用するのに必要だったスキルは、このCGIの誕生により圧倒的に下がった。そして、掲示板のCGIプログラムが無償で配布された時点で、匿名掲示板は、完全に民衆の手の中に再度おさまったのだ。

プロバイダからの圧力が気になるのならば、自分でサーバを立てればよい。
「オアシス」を実現するのならば、発信元を記録しなければ良い…。



このようにして、匿名掲示板という名の「オアシス」は、様々な人間の手によって誕生した。


CG、ぼぼ、クーロン黒沢、しば、くずは、アリス=リデル、Michiko、あめぞう、腐れ厨房、水谷わひょみ、サポート(=年金)、infohands、エデン、マミー石田、ひろゆき、ワイン比呂有紀、藤居芳生、むぎ茶、2ch編者、ふくやん…


現在まで、様々な人たちが匿名掲示板にかかわり、踊った。
私達は、先陣を切って踊る者と共に、手を取り合い、踊り明かした。


決して上から与えられるのではなく、決して強制されるわけでもなく。
私達は自らの意志で踊り、地面を踏み続ける。
そして、自らが持つ「語られることの無い言葉」で、語り続ける。



私達は、この「オアシス」を守らなければならない。


それは管理に参加するということではない。
それは、
書き続ける、ということだ。


語り続けなければ、オアシスは幻となる。
幻になる前に、私達の「語られることの無い言葉」を語る場所を守るために。



書き続けよう。






その山のなだらかな坂を幾日もかけて降りていくと、行き止まりの湿原に辿り着く。そこは遭難の名所で、なだらかな坂にだまされた人々が、集まってくる場所。再び、坂を登るのは、体力に自身のある山人でも難しい。湿原には、まるで砂漠のオアシスのような小さな泉がある。迷い込んだ旅人は、そこで喉をうるおし、なだらかな坂を見上げる。
もう何年も前、私はそこで、1人の女の子と再会した。彼女は、力尽きようとしていた。泉には、以前、遭難した旅人の日記や手帳があちこちに落ちていた。
そして、彼女は、最後の日記を残した。最後の日記はは、それ以後、泉に辿り着いた旅人に読み継がれた。何人かは、最後の日記を読んだ後、再び、坂を目指した。何人かは、そこで力尽きた。最後の日記は、そんなふうにして、いまもその泉のほとりにある。

狂うことは少しも恥じゃない。狂わなければ、見えないことがある。
したたかに狂ってしまおう。

やがて、次の旅が始まる。

(ピルグリム 鴻上尚史 1989 白水社より引用)





乱文乱筆失敬。

2001/10/30
大森弘昭


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